「社員の健康のために、産業医面談を増やしました」

「リラックスできるように、オフィスにカフェを作りました」

健康経営が叫ばれる昨今、多くの企業がメンタルヘルス施策を導入しています。しかし、それでもなお「メンタル不調による休職」や「見えない離職(燃え尽き)」は後を絶ちません。

なぜでしょうか?

それは、多くの施策が「傷ついた個人を治療する(対症療法)」ことに留まり、「傷を生み出す土壌(組織構造)」にメスを入れていないからです。

枯れかけた植物に栄養剤を刺しても、土壌が汚染されていれば意味がありません。

組織開発(OD)の視点において、メンタルヘルスとは「個人の強さ」の問題ではなく、「業務設計とリソース配分の問題(エンジニアリング)」です。

本記事では、組織心理学の決定版と言われる「JD-Rモデル」をベースに、社員を守るだけでなく、組織のパフォーマンスを最大化するための「攻めのメンタルヘルス戦略」を解説します。


第1章:メンタルヘルスは「個人の責任」ではない

まず、パラダイムシフトが必要です。

「あいつはメンタルが弱いから潰れた」という個人攻撃をやめましょう。

世界保健機関(WHO)も提唱するように、メンタルヘルスは「環境との相互作用」で決まります。

特にビジネスにおいては、以下の数式で捉えることが重要です。

Mental Health = f(個人のレジリエンス ×組織の環境設計)

個人の耐性を高める研修(レジリエンス・トレーニング)も大切ですが、それ以上にインパクトが大きいのが「組織の環境設計」です。

ここが崩壊している状態で社員を鼓舞することは、「毒ガスが充満した部屋で、深呼吸の練習をさせる」ようなものです。まずは換気(環境改善)をしなければなりません。


第2章:組織の「収支バランス」を見る(JD-Rモデル)

では、どのような環境がメンタルを蝕むのでしょうか?

ここで役立つのが、デメルーティらが提唱した「JD-Rモデル(仕事の要求度-資源モデル)」です。

仕事には、メンタルに対して「マイナスに働く要素」と「プラスに働く要素」の2つがあります。

1. 仕事の要求度(Job Demands):マイナス要因

  • 業務量過多、厳しい納期、感情労働、役割の対立。
  • これが増えると、エネルギーが枯渇し、「バーンアウト(燃え尽き)」を引き起こします。

2. 仕事の資源(Job Resources):プラス要因

  • 裁量権(コントロール)、上司のサポート、適切なフィードバック、報酬、成長機会。
  • これが増えると、モチベーションが高まり、「ワークエンゲージメント(熱意)」を引き起こします。

「忙しい=悪」ではない

ここからが重要です。多くの企業は「メンタル対策=残業を減らす(Demandsを下げる)」ことだと考えがちです。

しかし、スタートアップやプロジェクトチームを見てください。「死ぬほど忙しいのに、みんな生き生きしている組織」が存在します。

なぜか? それは、業務量(Demands)以上に、裁量権や仲間との信頼(Resources)が潤沢にあるからです。

逆に、「仕事は楽だけど、上司が細かく監視してくる(裁量がない)」職場では、人は簡単に病みます。

組織開発のアプローチとは、単に業務を減らすことではなく、「仕事の資源(Resources)を戦略的に補給し、要求度(Demands)とのバランスを最適化すること」なのです。


第3章:「心理的資本(HERO)」への投資

JD-Rモデルの「資源」を強化するために、近年注目されているのが「心理的資本(Psychological Capital)」という概念です。

これは、金銭資本(What you have)、人的資本(What you know)に次ぐ、第三の資本(Who you are)です。

心理的資本は「HERO(ヒーロー)」の4要素で構成されます。

  1. Hope(希望): 目標に向かう意志と、経路を見つける力。
  2. Efficacy(自己効力感): 「自分ならできる」という自信。
  3. Resilience(レジリエンス): 逆境から立ち直る力。
  4. Optimism(楽観性): 前向きな見通しを持つ力。

これらは性格ではなく、「開発可能なスキル」です。

例えば、Efficacy(効力感)を高めるために「スモールウィン(小さな成功体験)」を設計したり、Hope(希望)を持たせるために「キャリアパス」を可視化したりする。

これらへの投資は、福利厚生費ではなく「設備投資」と同じです。心理的資本が高い組織は、離職率が低く、収益性が高いことが実証されています。


第4章:マネージャーを「ゲートキーパー」にするな

現場でメンタルケアを担うのは管理職ですが、彼らに「カウンセラーになれ」と言うのは酷です。

むしろ、マネージャーの役割は「資源(Resources)の配給係」に徹することです。

「ラインケア」の再定義

「最近どう?」と飲みに行くことではありません。以下の3つのリソースを提供することです。

  1. 意味の提供: 「この仕事が誰の役に立つか」を語り、徒労感を消す。
  2. 自律の提供: 「やり方は任せる」と権限を委譲し、やらされ感を消す。
  3. 安全の提供: 「失敗しても私が責任を取る」と宣言し、不安を消す。

これらを提供するだけで、部下の脳は「脅威モード」から「報酬モード」に切り替わります。

マネージャーがやるべきは、部下の悩みを聞くことよりも、部下が悩み(リソース不足)に陥らないための環境整備です。


結論:健康な組織だけが、持続的に勝てる

メンタルヘルス施策のゴールは、「病気の人をゼロにすること」ではありません。

「社員がエネルギーに満ち溢れ、その能力を最大限に発揮している状態(ウェルビーイング)」を作ることです。

「うちは忙しいから仕方ない」と諦めないでください。

忙しくても、裁量があれば人は輝きます。

プレッシャーがあっても、サポートがあれば人は挑戦できます。

あなたの組織は、要求(Demands)ばかりを押し付け、資源(Resources)を与えない「搾取構造」になっていませんか?

今日から、組織のバランスシートを見直してください。

「資源」を注ぎ込むこと。 それこそが、最強のメンタルヘルス対策であり、最強の成長戦略です。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です