はじめに

「せっかく営業で成果が出始めたのに、なぜ今さら管理部門へ?」 「エンジニアとして入社したのに、企画職に回された。これでは市場価値が下がる」

定期異動の季節になると、人事部や経営層にはこうした不満の声(あるいは沈黙の退職届)が届くのではないでしょうか。 近年、若手社員を中心に「配属ガチャ」という言葉が流行するなど、会社主導の**ジョブローテーション(職務転換)**に対する忌避感が高まっています。

彼らが恐れているのは、異動そのものではなく、「専門性の断絶」です。

しかし、経営視点で見れば、組織の硬直化を防ぎ、次世代リーダーを育てるためにローテーションは不可欠です。本記事では、この「個人のキャリア不安」と「組織の要請」のジレンマを解消し、ジョブローテーションをポジティブな成長機会へと再定義する構造的アプローチを解説します。


なぜ今、ジョブローテーションは「嫌われる」のか?

かつての日本企業では、ジョブローテーションは「出世の階段」でした。様々な部署を経験することが、ゼネラリスト(経営幹部候補)へのパスポートだったからです。

しかし、雇用環境の変化により、ゲームのルールが変わりました。

  1. 「就社」から「就職」へ: 社員は会社への忠誠心よりも、自身の「職務経歴書(レジュメ)」の美しさを優先します。
  2. 専門志向の加速: 「何でもできます」という人材よりも、「これができます」というスペシャリストの方が、転職市場での評価が高いという認識が浸透しています。

この状況下で、目的不明瞭な異動を命じることは、社員にとって「キャリアの資産価値を毀損される」のと同じ意味を持ちます。これが「キャリア不安」の正体です。


「一本足打法」のリスクと、「掛け算」のキャリア戦略

では、社員の希望通り、一つの職種を極めさせ続けるのが正解でしょうか? マッキンゼーをはじめとするコンサルティングの現場では、逆の視点も提供します。「単一の専門性への依存は、変化の時代においてリスクである」という視点です。

キャリア・ポートフォリオの考え方

AIや技術革新により、特定のスキルの寿命は年々短くなっています。 ここで重要なのが、ジョブローテーションを「ゼロからのやり直し」ではなく、「スキルの掛け算(タグの獲得)」と捉え直すことです。

  • Aさん(営業一筋10年): 「営業のプロ」だが、営業支援AIが登場すれば代替される可能性がある。
  • Bさん(営業5年 × 人事3年 × 企画2年): 「現場の痛みがわかる人事」であり、「人を動かす企画が書けるマーケター」。

この「希少性(レアリティ)」こそが、AI時代における真の市場価値です。異動とは、新しいタグを獲得するための「投資期間」なのです。


異動を「納得解」にするための3つの人事施策

このロジックを社員に理解させ、前向きなローテーションを実現するために、企業側が整備すべき3つの仕組みがあります。

1. 「ブラックボックス」の透明化(社内公募・FA制度)

「なぜ自分がこの部署なのか?」という不信感が最大の問題です。 人事異動の決定プロセスを、会社主導の「命令」から、対話に基づく「合意」へとシフトさせます。

具体的なアクション:

  • 社内公募制度の拡充: 重要なポジションや新規事業は、まず社内から手を挙げさせます。
  • キャリア面談の分離: 評価面談とは別に、「将来どうなりたいか」「どんな経験(タグ)が欲しいか」だけを話す機会を設けます。

2. 異動の意味づけ(ナラティブの構築)

異動辞令を渡す際、「人手が足りないから」等の組織都合で説明していませんか? リーダーは、その異動が「個人のキャリアストーリー」の中でどう位置づけられるかを語る必要があります。

会話例:

「君には将来、事業責任者を任せたい。今の君には『商品を売る力』はあるが、『組織を作る力』がまだ弱い。だからこそ、次の2年間で人事・採用を経験してほしい。これは『回り道』ではなく、君のキャリアの『欠けているピース』を埋めるための期間だ」

このように「接続性」を持たせることで、異動は「左遷」から「栄転(修行)」へと変わります。

3. 「ポータブルスキル」の言語化

職種が変わっても持ち運べるスキル(ポータブルスキル)を評価指標に入れます。 例えば「課題発見力」「プロジェクト推進力」「交渉力」です。

「営業で培った『顧客の要望を聴く力』は、開発部門での『要件定義』にもそのまま活かせる」といったスキルの転用可能性(Transferability)を1on1で具体的にフィードバックすることで、社員は「経験が無駄になっていない」と確信できます。


結論:組織は「パズル」を埋め、個人は「地図」を広げる

ジョブローテーションとキャリア自律は対立しません。 適切にデザインされたローテーションは、社員に「自分の知らなかった適性」に気づかせ、キャリアの地図を広げるきっかけになります。

重要なのは、会社が社員を「コマ」として扱うのではなく、「共にキャリアをデザインするパートナー」として対話することです。 「配属ガチャ」という言葉が生まれるのは、そこに「対話」がないからです。

あなたの組織では、異動の季節に「物語(ナラティブ)」を語れていますか?

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