「気づいたら、朝起き上がれなくなっていた」 「突然、涙が止まらなくなった」

メンタルヘルスの不調で休職する人の多くが、倒れる直前まで「自分はまだ大丈夫だ」と信じています。 なぜ、私たちは自分の限界に気づけないのでしょうか?

それは、高い成果を出そうとする時、私たちの脳(前頭前野)が、身体から発せられる「疲れた」「辛い」というアラートを意図的にシャットダウン(無視)するからです。これを「過剰適応」と呼びます。

これは、燃料計が壊れたまま高速道路を走るスポーツカーのようなものです。 スピードは出ますが、いつガス欠で止まるかは誰にも分かりません。そして、止まった時にはもう手遅れ(廃車)なのです。

ビジネスパーソンに必要なのは、無尽蔵のスタミナではありません。 壊れた燃料計を修理し、ガス欠になる前に戦略的にピットインするための「セルフモニタリング(自己観察)」の技術です。 本記事では、感覚ではなく「データ」で自分のコンディションを管理する手法を解説します。


第1章:ストレスとパフォーマンスの「黄金比」(ヤーキーズ・ドットソンの法則)

まず、ストレスに関する誤解を解きましょう。「ストレスはゼロが良い」のではありません。 心理学の「ヤーキーズ・ドットソンの法則」によれば、パフォーマンスとストレス(覚醒レベル)の関係は「逆U字型」を描きます。Yerkes Dodson Law graphの画像

  • 低ストレス(左側): 刺激がなく、退屈。パフォーマンスは低い。
  • 適度なストレス(中央): 集中力が高まり、パフォーマンスが最大化(フロー状態)する。
  • 過剰ストレス(右側): 脳がパニックを起こし、パフォーマンスが急降下する(バーンアウト)。

「右側に落ちる」瞬間を見逃すな

ハイパフォーマーの問題は、自分が今「頂点(フロー)」にいるのか、それとも「右側の崖(バーンアウト寸前)」にいるのかを区別できないことです。 仕事に没頭している時、脳内ではドーパミン(快楽物質)が出ており、疲労感(コルチゾール)をマスクしてしまいます。

だからこそ、主観的な「やる気」を信じてはいけません。 客観的な指標(モニタリング)によって、「あ、今ストレス値がピークを超えて右側に落ち始めたな」と察知する必要があるのです。


第2章:「私は大丈夫」という脳の嘘を見破る

セルフモニタリングにおいて、最大の敵は「自分の思考(脳)」です。 「このプロジェクトだけは終わらせないと」「みんな頑張っているんだから」 こうした思考は、身体の悲鳴を論理でねじ伏せてしまいます。

脳ではなく、「身体(Body)」「行動(Behavior)」の変化に注目してください。身体は嘘をつきません。

危険信号のチェックリスト

以下のような「微細な変化」が現れたら、あなたの脳が何と言おうと、体は「緊急停止」を求めています。

  1. 身体の変化:
    • 朝、スッキリ起きられない(睡眠の質低下)。
    • 奥歯を噛み締めている、肩が常に上がっている。
    • 甘いものやカフェインへの欲求が異常に増えた。
  2. 行動の変化:
    • メールの返信が億劫になる、または攻撃的になる。
    • 休日に趣味を楽しめない(何もしないで終わる)。
    • 「ミスが増える」などの遅行指標が出る前に対処が必要です。

第3章:客観的データを取る「スケーリング」技術

では、具体的にどうモニタリングすればいいのでしょうか。 おすすめは、曖昧な気分を数値化する「スケーリング(数値化)」です。

毎朝1分の「自分点検」

手帳やスマホのメモに、毎朝以下のスコアを記録します。

  • 体調スコア(0〜100): 重さ、痛み、睡眠の質。
  • 気分スコア(0〜100): 意欲、不安のなさ。

「今日は体調60、気分80だな」 ポイントは、「気分は高いが、体調が低い」という乖離(ギャップ)を見つけることです。これこそが「無理をしている(過剰適応)」状態であり、バーンアウトの予兆です。

「イエローカード」の基準を決める

モニタリングするだけでは意味がありません。「撤退ライン」をあらかじめ決めておきます(コミットメント)。

  • 「スコアが50を下回ったら、その日は残業せずに帰る」
  • 「3日連続で60以下なら、週末の予定をキャンセルして寝る」

この「自分との協定(ルール)」があれば、判断力が低下している時でも、機械的にブレーキを踏むことができます。


第4章:マネージャー向け:部下の「限界」をどう見抜くか

もしあなたが管理職なら、部下のセルフモニタリングを支援する義務があります。 特に、責任感が強く「大丈夫です」と言い続ける部下ほど危険です。

1. 「顔色」ではなく「ログ」を見る

「元気?」と聞けば、彼らは反射的に「元気です」と答えます。 言葉ではなく、デジタル上のログを見てください。

  • 深夜や早朝のチャット送信が増えていないか?
  • 勤怠の打刻漏れなどの「小さなミス」が増えていないか?

これらは脳のメモリが圧迫されているサインです。

2. 強制的に「ピットイン」させる

限界が近い部下に「休んでいいよ」と言うのは逆効果です。「見捨てられた」「評価が下がる」と不安になるからです。 業務命令として休ませてください。

「君のパフォーマンスを維持するのは私の仕事だ。今の状態は効率が落ちているから、明日の午前中は業務命令としてオフにする。これは仕事だ」

「休むのも仕事」と定義し直すことで、彼らの罪悪感を解除し、強制的にメンテナンスさせることができます。


結論:自分を守れるのは、自分しかいない

「ギリギリまで頑張る」 それは一見、美徳のように見えます。しかし、ビジネスという長期戦において、一度再起不能になるまで壊れてしまうことは、最大のプロフェッショナル失格です。

あなたの代わりになる社員は、会社が探せば見つかるかもしれません。 しかし、あなたの代わりになる「自分」は、世界中どこを探してもいません。

「まだやれる」と思った瞬間こそが、ブレーキを踏むべきタイミングです。 今日から、自分の心のメーターに目を向け、「勇気ある撤退(休息)」を選択できる人になってください。 それが、長く、高く飛び続けるための唯一の方法です。

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