「辛いことがあっても、顔に出さず業務を遂行する」 「個人的な感情は押し殺し、論理的に判断する」
これが「優秀な社会人」の条件だと信じて、走り続けてきませんでしたか? しかし、もし今、あなたがこんな状態にあるなら、少し立ち止まってください。
- 大きなトラブルが起きても、焦りも悲しみも感じない(心が凪いでいる)。
- 休日に「何がしたい?」と聞かれても、何も思い浮かばない。
- なぜか涙が出ない、あるいは理由もなく涙が出る。
これは「メンタルが強くなった」のではありません。 過度なストレスから心を守るために、脳が感情のブレーカーを強制的に落とした「アレキシサイミア(失感情症)」という状態です。
感情を殺すことは、プロフェッショナリズムではなく、脳に対する「緩やかな自殺行為」です。 本記事では、凍りついてしまったあなたの心を、もう一度ゆっくりと溶かしていくための脳科学的なアプローチをお話しします。
第1章:感情の回線を切る「アレキシサイミア」とは
アレキシサイミア(Alexithymia)は、1970年代に精神科医シフネオスが提唱した概念で、日本語では「失感情症」と訳されます。 病気ではなく、性格特性や心理状態を指す言葉です。
「感じない」ことで生き延びてきた
特徴は、自分の感情を認識したり、言葉にしたりするのが困難になることです。 「今、どう思ってる?」と聞かれても、「(思考として)こうすべきだと思います」とは答えられますが、「(感情として)悔しいです」とは答えられません。
これは、あなたが過酷な環境(ブラック企業、パワハラ、過度なプレッシャー)に適応するために身につけた「生存戦略」でした。 いちいち傷ついていたら心が壊れてしまうから、痛みを感じないように神経を切断したのです。 あなたはそれほどまでに、一人で戦ってきたのです。
第2章:感情を失うと「決められない」脳になる
「感情なんて仕事の邪魔だ。ない方が効率的だ」 そう思うかもしれません。しかし、脳科学者アントニオ・ダマシオの研究は、衝撃的な事実を明らかにしました。
ソマティック・マーカー仮説
ダマシオは、感情中枢(扁桃体など)を損傷した患者を調査しました。彼らは知能や論理的思考力は正常でしたが、「昼食に何を食べるか」「次のアポをいつにするか」といった些細な決断さえできなくなっていたのです。
人は、論理だけで決断しているわけではありません。 過去の経験からくる「快・不快」の感情信号(身体的マーカー)が、「こっちの方が良さそうだ」という直感を後押しすることで、初めて決断を下せるのです。
つまり、感情を殺すということは、人生の羅針盤を捨てることと同じです。 「何が食べたいか分からない」「転職すべきか分からない」 あなたが今、人生の岐路で立ち尽くしているのは、感情というGPSの電源が切れているからなのです。
第3章:身体の声を聞く「内受容感覚」のリハビリ
では、どうすれば感情を取り戻せるのでしょうか。 感情は「心」ではなく、まず「身体」に現れます。
身体のサインをキャッチする
アレキシサイミアの人は、心は麻痺していても、身体は悲鳴を上げています。 胃痛、頭痛、不眠、過呼吸。これらはすべて「抑圧された感情(E-motion)」のエネルギーです。
まずは、思考(頭)ではなく、感覚(体)に意識を向ける「内受容感覚(Interoception)」のトレーニングから始めましょう。
- スキャン: 静かな場所で目を閉じ、足先から頭まで、身体の状態をスキャンします。
- 実況: 「胃がキリキリしている」「喉が詰まった感じがする」「肩が重い」
- 接続: その身体感覚に、仮の名前をつけてみます。「この胃の痛みは、『不安』かもしれない」「この肩の重さは、『重圧』かもしれない」
「悲しい」と言えなくても、「胸が苦しい」となら言えるはずです。 身体感覚を入り口にして、少しずつ感情の回線を繋ぎ直していきます。
第4章:感情は「天気」のように通り過ぎる
リハビリを始めると、封印していたネガティブな感情(怒りや悲しみ)が一気に溢れ出し、怖くなることがあります。 これを「感情の雪解け(洪水)」と呼びます。
感情に溺れないために
その時は、慌ててまた蓋をしないでください。 ただ、「あぁ、私はこんなに怒っていたんだな」「寂しかったんだな」と、その場に座って眺めてあげてください。
感情は「天気」と同じです。 どんなに激しい嵐も、必ず過ぎ去ります。 ずっと晴れでいる必要はありません。雨の日も風の日もあるのが、自然な人間の姿です。
結論:あなたはロボットとして生まれたわけではない
「感情を殺して働く」。 それは、あなたが組織の「部品」として機能するためには最適だったかもしれません。 しかし、あなた自身の人生を生きるためには、最大の障害になります。
美味しいものを食べて「美味しい」と感じる。 理不尽なことをされて「ムカつく」と感じる。 美しい夕日を見て「綺麗だ」と涙する。
それらはすべて、あなたがロボットではなく、血の通った人間である証です。 効率や成果のために、これ以上あなたの大切な人間性を犠牲にしないでください。
今日、帰り道で空を見上げてみてください。 もし何も感じなかったら、「何も感じないほど、私は頑張りすぎていたんだな」と、自分を労ってあげてください。 そこから、あなたの雪解けは始まります。


