「こんなはずじゃなかった」 「面接で聞いていた話と違う」
新入社員が入社直後にモチベーションを失い、最悪の場合、早期離職に至る現象。これを「リアリティ・ショック」と呼びます。 多くの企業はこれを「最近の若者は忍耐力がない」と個人のせいにしますが、それは大きな間違いです。
リアリティ・ショックの原因は、企業の「採用マーケティング」にあります。 優秀な人材を口説こうとするあまり、自社の魅力を「盛り」、不都合な真実(残業、泥臭い業務、人間関係)を隠す。 これは、「期待値」という借金をして採用しているのと同じです。入社後、その借金は「幻滅」という利子がついて返済を迫られます。
本記事では、組織心理学の「RJP理論(Realistic Job Preview)」をベースに、あえてネガティブな情報を開示することで、強固なエンゲージメントと定着を生み出す「本音採用」のメカニズムを解説します。
第1章:なぜ「期待」は裏切られるのか?(心理的契約の破綻)
雇用契約書には「給与」や「勤務時間」は書かれていますが、「職場の雰囲気」や「上司の性格」までは書かれていません。 しかし、求職者は面接などのやり取りを通じて、企業に対して暗黙の期待を抱きます。これを「心理的契約(Psychological Contract)」と呼びます。
「盛りすぎた期待」は凶器になる
人間には「期待不一致理論」が働きます。
- 事前の期待値 > 実際の体験 = 不満足(リアリティ・ショック)
- 事前の期待値 < 実際の体験 = 感動(サプライズ)
採用広報で「風通しが良い」「若手が活躍できる」とキラキラした側面だけを見せれば見せるほど、候補者の期待値は天井知らずに上がります。 その結果、入社後に直面する「普通の苦労」さえも、「話が違う! ブラック企業だ!」という強烈な裏切り(契約不履行)として認識されてしまうのです。
第2章:ネガティブ情報を開示する「RJP理論」の効果
この悲劇を防ぐ唯一の方法が、ジョン・ワナウスが提唱した「RJP(Realistic Job Preview:現実的な職務予告)」です。 採用段階で、仕事の良い面だけでなく、悪い面(厳しさ、退屈さ、課題)もありのままに伝える手法です。
RJPには、科学的に証明された4つの効果があります。
- ワクチン効果(Vaccination):
- 事前にネガティブな情報を知っておくことで、入社後に困難に直面しても「聞いていた通りだ」と免疫が働き、ショックを受けない。
- スクリーニング効果(Self-Selection):
- 「そんなに大変なら辞めておこう」と、適性のない人が自ら辞退するため、ミスマッチ入社が減る。
- コミットメント効果(Commitment):
- 「悪い面も知った上で、それでも入社を選んだ」という自己決定感が、入社後の覚悟(定着意欲)を高める。
- 役割明確化効果(Role Clarity):
- 良い面も悪い面も知ることで、仕事の現実的なイメージ(解像度)が高まり、入社後の立ち上がりが早くなる。
第3章:どうやって「悪い情報」を伝えるか?
「悪いことを言ったら、誰も応募してこないのでは?」 そう不安になる人事担当者も多いでしょう。しかし、伝え方(フレーミング)次第で、ネガティブ情報は「誠実さの証明」に変わります。
文脈(コンテキスト)と共に伝える
単に「うちは残業が多いです」と言うのはNGです。理由とセットで伝えます。
- × 単なるネガティブ: 「泥臭い仕事が多いです」
- ○ RJP的アプローチ: 「私たちは顧客の成果にコミットしているため、華やかな戦略立案だけでなく、泥臭い現場のリサーチや調整業務が全体の8割を占めます。 地道な作業に耐えられない人には辛い環境ですが、だからこそ本物の課題解決力が身につきます」
「厳しさ」を「成長の機会」や「プロ意識の裏返し」として語ること。 これにより、その厳しさに共感できる「質の高い候補者(カルチャーフィット人材)」だけを惹きつけることができます。
第4章:オンボーディングでの「答え合わせ」
RJPは採用時だけでなく、入社後のオンボーディング(定着支援)でも継続する必要があります。 入社1ヶ月目、3ヶ月目の面談で、必ずこう聞いてください。
「入社前に抱いていたイメージと、今の現実に『ズレ』はありますか?」
「思っていたのと違う」という小さな違和感を、早期に吐き出させることが重要です。 「実は、もっと裁量があると思っていました」 「なるほど。確かに今は研修期間だから窮屈に感じるかもしれないね。半年後にはこれくらいの裁量が渡せるよ」
この「期待値のチューニング(微調整)」を繰り返すことで、心理的契約の破綻(=離職)を防ぐことができます。
結論:誠実さ(Integrity)こそが最強の定着戦略
リアリティ・ショックを生み出しているのは、新人の弱さではありません。 「良く見られたい」という企業の虚栄心です。
恋愛でも同じです。 付き合う前に自分を良く見せようと嘘をついても、結婚生活(入社後)が始まれば必ずバレます。そして、その時の失望は、最初から素を見せている場合よりも深くなります。
「うちは完璧な会社ではない。こんな課題がある。だからこそ、あなたに助けてほしい」
そう正直に語る企業こそが、信頼され、愛され、人が定着する組織になります。 採用活動とは、化粧をして騙すことではなく、「素顔で握手できるパートナー」を探す活動であるべきです。

